最後に書いてみました。
写真は、昨日の私のデータ
一日の、歩数は、16798歩
それまでのオペは、左半身のリンパ節がほとんど、
17歳になる前に巨大な左鼠径部の静脈瘤のオペが最後。
なんと、そのオペは、8時間にも及んだのです。
そのオペの問題が、
まさか、その後の人生の20代からの不整脈を抱え込むとは、
思いもしなかったのです。
クスリは自分を駄目にすると
保険診療ではクスリと、治療以外には、
無いことを知っているのだから、当然。
活きている間の
診断は今の自分の位置を知るため
治療をしてほしいなんてのは
考えない、
このときだけは、ビタミンってすごいって、実感いたしました。
自分にとっての人生のチャンスになったのかもしれないのです。
20歳まで生きられないと、わかった瞬間に、
自分の人生あと数年と、
決めて自分の目標を決めることができるようになったのです。
そして、様々な経験をするたびに、
5年計画を作り始めました。
その後、多少の違いはありますが、ここ30年くらいは、
自分の五年の計画で、
どんどん次のステップに進むようになってきたのです。
健康も、事業もです。
失敗という経験は、私にとっては学びでしか無いのです。
つまり研究、病気もそうでした。体調の問題も経験です。
絵屋が決めたように思っていた自分の人生が
責任は自分でとるしかないとわかったときに、
失敗だと思っていたことが、すごい経験になってきました。
ようやく勉強ではなく、学習が始まったのです。
病気もオペも、クスリも、食べ物も、そして呼吸すら
学習という自分で獲得する体と、知恵が始まったのです。
強く生きなければと、思えば思うほど
(この20代後半までも波乱万丈ですが、いつも出会いと、過去の人生との、なんとなくの決別で変えてきました。)
今まで、病気になったり、動かないで、寝てばかりいた自分の人生が、数年しか無いって。。絶対、好きにならないと、たった、。これだけしか無いって。。
周りの人をもっと好きになれば、いいって、気がついたんです。
もっと人を愛して、もっと人生を楽しくしてって・・・辛くとも笑って・・
今まで自分の人生でまとめてきた方向性を、
来てくれる人たちが、どんどん教えてくれる様になったんです。
落ちこぼれではなく、学習し始めたのです、
できることが、増えるには、人の10倍の学習が必要・・
できるようになったら、学習は、時間を超えるからと。。
エネルギッシュに自分の人生を過ごすのには、
どうしたら良いのかということで、
なぜなら、自然の中にいるから。ということで、
自然ということは、最も生きるのに過酷な条件を与えるから自然。
生きるのに、楽な状態を与えるのが不自然ということがわかってきたのです。
四時間から、五時間の間のショートスリーパー、
昼寝も、15分で十分という疲れに対して、
自分の睡眠の時間と質を創り上げてきました。
その代わり、起きている時間が楽しくてしょうがない
人と接してい寝るのが楽しくってしょうがない
もっと、この人生の変換を伝えたいと。。変わっていたのです。
安定というノンレム睡眠は、
人間だけが、作り上げることができた睡眠だと自分でわかったのです。
今の診療というよりも、自分を最高に好きになる、
疲れ果てるまで、動く、考えるという習慣を病気ばかりの世界から、
抜け出せる瞬間を創り上げたとしか、今考えると思えないのです。
という睡眠の原理は、座り続けると寝てしまうという、
自然の摂理。。
座り病対策も、自然と身に着けるようになったのです。
健康を感じて、活きるのには、
夢を語って活きるのには、
人間だけができる、睡眠と、
人間だけができる、特別な呼吸、
そして人間だけの、食べ方、飲み込み方、
他の動物には無い食べ方なのです。
そして人間だけができる二足歩行、
人間だけができる、食べ物を作るという方法。
人間だけができる糖を摂取するという技術
と言っていいほどの特別な能力、
人間と、人間に飼われた動物が癌になる確率が極端に高い理由、・・
人間と、人間に飼われた動物だけにおこる肩こり、腰痛、消化異常。。。の呼吸と、
嚥下の機能の関係・・
そして、動物としてあるまじき、行動パターンが、
安定、安心という体の使い方の一つの睡眠の形。。。を作り出しているのが
睡眠障害
ほとんど動き回っていない子どもたちが
ほとんど、
遊ぶということは、自然の中で、
活きるということを学習する場所があるから、
その場所で、知恵をつけ、集団を作り、開拓し、
自身の立場をつくり、
自身の仕事を作るのが遊びの始まりなのです。
自然でも、車でも無いのです。
安定を求めて、活きる知恵をなくしてしまった
体と心をもった人々なのです。その人達が創り上げてきた
寝たきりで生活ができる社会なのです
楽を求めて、動かなくなり、
体の行動パターンと、
心という脳の成長の問題が伴っていない人々ばかりになったからです。
親子関係も、同じです。夫婦が仲良く、元気で健康で、二人についてこいという夫婦であれば、子育てそのものが、親育てだとわかります。子供のためにという考え事態が問題です。親が元気に仲良くするために、子供は鎹として親を選んできます。成長という、学習という過酷な試練を与えてくれる人だと選んで生まれるのです。親の学習以外には、子育ては無いのです、子育てを楽しむように、安定という中での学習を与える義務があり、親は仲良く、するために子供が存在するということで育てると、子供はすくすく育ちます。泣くことも見分けることができます。親と子の会話が、行動で理解できるようになるのです。これは、親が学習したためにできる現象です。
最初にわからなければならないのは、
口呼吸は、動物にも、遺伝的に人間にも無いのです、
口呼吸を理解できないために、呼吸姿勢、嚥下姿勢が理解できないだけです。
口呼吸事態が病名でないために、理解できないのです、
口腔感染症が、虫歯であり、歯周病であることも、顎関節症が前進の四肢の発達との関係も分断されてしまった医療では理解できないし、診断には、関連性は無いのです。
虫歯を削るという自然界では、ありえない行動パターンを作り出し、歯科という分野を特殊な、人間の機能とは関係ないとしたのが医療に対しての考え方と、社会の考え方です。
この問題に対して活きる最低限に必要なのが、口腔の機能としたのが、人間としして、母体内から、そして生まれてすぐに口腔の管渠を作り上げ、生涯を作らない呼吸を獲得させる。としたのが、マイナス20度になってしまう口での呼吸では、生きられない世界があった北欧です。